短編小説
二月十三日の夜は、いつもより少しだけ静かだった。 窓の外で風が鳴っているのに、部屋の中は驚くほど音がない。 机の上には、きれいに包まれた小さな箱。 赤でもピンクでもない、落ち着いた色の包装紙。 リボンは何度も結び直して、少し歪んでいる。 ——これ…
朝の空気は、まだ冬の端っこにあった。吐く息が白くなるほどではないけれど、指先はじんわりと冷たい。駅から学校までの道を歩きながら、彼は何度もポケットの中で拳を握り直した。 合格発表の日。それ以上でも、それ以下でもない一日なのに、足音だけがやけ…
時計の秒針の音が、やけに大きく聞こえた。 カチ、カチ、と規則正しく刻まれる音が、 机の上の参考書よりも、頭の中に残っている。 もう、やることは全部やった。 そう言い聞かせているのに、視線は自然と机に戻ってしまう。 英単語帳、書き込みだらけのノー…
元日の朝は、驚くほど静かだった。窓の外には人の気配がなく、遠くの道路も眠ったままのように見える。 彼女はまだ湯気の立つ湯のみを両手で包み、テレビもつけずに座っていた。実家ではない。帰省もしなかった。理由があるわけではないけれど、今年はここに…
クリスマスイブの夜は、街が少しだけ嘘をつく。本当は寒くて、足先は感覚がなくなるほど冷たいのに、イルミネーションの光がそれを誤魔化してくれる。 駅前の大きなツリーの前で、人々は写真を撮り、誰かの肩に寄り添い、あるいは誰にも寄り添わずに、立ち止…
目が覚めたのは、時計のアラームよりもずっと前だった。 窓の外が、いつもと違う色をしている気がして。 スマホを見ると、時刻は六時少し前。 元日の朝にしては、あまりにも静かだ。 カーテンを少しだけ開けると、街は薄い灰色の光に包まれていた。 夜と朝の…
最初にそれを見たのは、街灯の光がぼんやり滲む雪の夜だった。 残業帰りの道は、いつもより静かだった。吐く息が白い。耳の奥がきゅっと縮まるような冷え。 けれど、道の向こう側にふ、と柔らかい光が浮かんだ。 ――いや、光ではない。 薄い金色をまとった、…
夜の名残がまだ窓の外にうっすらと漂う頃、千代はふとした寒さで目を覚ました。布団の隙間から入り込んだ冷気は、何かの予告のように慎ましやかで、彼女は思わず肩をすくめる。 まだだいぶ早い――そう思いながら枕元のスマホを見ると、画面には 5:42 の数字が…
窓を打つ風の音が、いつもより少しだけ硬く聞こえた。冷たい空気が部屋の隅に溜まりはじめる、十一月の半ば。夏用のカーテンの向こう側は、すっかり冬の手前に立った空の色をしている。 仕事帰り、駅から家への道のりは、朝とまったく違う匂いに包まれていた…
夕方と夜のあいだ。街がいちばん静かになる時間帯に、一本の街灯がぽつんと灯る。その足元に、細く長い“影”が伸びていた。 影は、自分に形があることを知らなかった。光の強さや向きに合わせて揺れ、風もないのにふらりと震え、ただそこに「在る」だけのもの…
午前四時。まだ夜の名残を残した空の下、灯里(あかり)はカーテンの隙間から外を見ていた。カーテンの裾を掴んだ指先が少し冷たい。外では、アパートの前の街灯がひとつだけ、まだ消えずに立っている。 「……この灯り、強いな」 誰に言うでもなく呟く。近く…
最終電車のドアが閉まる音が、耳の奥でまだ鳴っていた。透は部屋に入ると、コートを椅子に掛け、モニタの電源を入れた。通知欄には、今日も同じ名前が光っている。 ⌚ 22:01 月見リラ「ただいま。今日も、ここにいるよ」 待機のコメントがオレンジ色の渦にな…
10月31日。夕方6時を過ぎると、街はすっかりハロウィンの装いになっていた。オレンジと紫のライトが交互に点滅し、子どもたちの笑い声が通りに響く。「トリック・オア・トリート!」小さな吸血鬼や魔女が紙袋を抱えて駆け回る姿は、見ているだけで心が和む。…
十月十四日、午前十一時。校門横の電光掲示板は「29℃」を点滅させていた。秋晴れ、のはずだった空は、夏の終わりを引きずったように白く、遠くのビルの輪郭が熱でぼやける。セミの声だけが消え、代わりに風鈴の残響みたいな高い虫の声が、陽炎の上でぎらぎら…
十一月のはじめ、空は一段と低くなって、夕方が急ぐように早くやってくる。川沿いの欅は七分ほど色づき、歩道には乾いた葉が薄い絨毯を敷いていた。靴の裏で踏むたび、紙のような音がする。息はもう白くはならないが、胸の奥に入ってくる空気は冷えている。 …
九月の初め、午前の空はまだ夏みたいに白く明るいのに、風だけが薄く冷たくなってきた。ベランダに吊るしたガラスの風鈴が、からん、とひとつ鳴って、それきり黙った。音の余韻のほうが長く残る。私は椅子を引き寄せて、風鈴の紐に指を掛けた。結び目の固さ…
終電ひとつ前。コンビニで牛乳とパンを買って、いつものようにアパートの階段を上がった。二階の一番奥、ドアの上には薄い蛍光灯。湿った夏の空気がまだ残っている。 鍵を差し込み、回す。いつもの重い音のあと、ドアを押したら――十センチほどで止まった。 …
夜の十一時を少し過ぎたころ。最寄りのコンビニで飲み物を買い、アパートへ帰る道を歩いていた。街灯は少なく、夜の風はまだ少し夏の湿気を残している。 普段ならまっすぐ大通りを歩くのだが、その日はなんとなく気まぐれで、公園の脇を抜ける近道を選んだ。…
八月の終わり、空はまだ真夏のように青く澄んでいるのに、吹き抜ける風だけがほんの少し冷たさを帯びていた。蝉の声は相変わらず喧しいけれど、その合間にツクツクボウシの鳴き声が混じりはじめている。まるで季節の端境期を告げる合図のように。 「……もう秋…
夕暮れの空は、茜色から群青へとゆっくりと溶け込んでいく。セミの声が遠ざかり、代わりに草むらの奥からコオロギや鈴虫の音色が響き始めた。日中の熱気がまだ地面に残っているものの、風が吹くたびに少しずつ涼しさを帯びていく。 そんな中、一匹の犬が、家…
東京のはずれにある、築25年のワンルームマンション。2階の一番奥――そこが、俺の部屋だ。 駅からは遠いが、家賃が安いし、何より「静か」なのが気に入っていた。隣の部屋にも人は住んでいるらしいが、ほとんど顔を見たことがない。 ある日、会社から帰ってシ…
海辺の町、黄昏どき。陽が沈みきる前のひととき、風がぴたりと止まる瞬間がある。その時間帯を、この町の人たちは「夕凪」と呼んでいた。 人通りの少ない堤防沿いに、小さなカフェがある。看板は古びているが、海風と時間のせいでそれが妙に味になっていた。…
初夏の光は、静かに色褪せた駅のホームを照らしていた。蝉にはまだ早いが、空気には夏のにおいが混ざっている。風はゆるやかで、でもどこか焦るような、そんな季節の匂いだった。 郁(いく)は、リュックひとつでホームのベンチに座っていた。実家に帰るのは…
こんにちは、ユキです。今回も、オリジナル小説をお届けします。 蒼い窓辺のメロディ 梅雨明けの夜明けは、いつもより静かだった。湿った空気の重みは薄れ、透明感のある朝の光が、白いレースのカーテンをそっと揺らす。カーテンの隙間から差し込む光は、ま…
── 静かな冬の町で起きた、小さな奇跡の話 こんにちは、ユキです。今回はちょっと趣向を変えて、短い物語をお届けします。心が少し疲れたとき、何も考えずに読めて、終わったあとにほんのり温かさが残るようなお話。そんな時間になればいいなと思っています…
今日は何かと上手くいかない日だった。朝から寝坊して、電車には乗り遅れて、仕事ではミスばかり。そんな日によくあるように、帰り道では雨に降られて、傘も持っていなかった。 冷えた体で部屋に戻って、濡れた服を脱いで、熱めのシャワーを浴びて。カップ麺…