短編小説
ホワイトデーの帰り道。 いつもと同じ通学路なのに、 なぜか今日は、景色が少し違って見えた。 「……なんか、あったかいね」 彼女がそう言って、マフラーを少し緩める。 「そうだな。昼よりマシかも」 会話は、いつも通り。 でも、どこか少しだけ、ぎこちない…
あの日もらった箱は、まだ机の上にある。 リボンはほどいていない。 中身も、一つしか食べていない。 もったいない、というより。 簡単に減らしていいものじゃない気がした。 ——バレンタイン。 彼女が差し出してきたときのことを、思い出す。 少し震えた声。…
夜の部屋は、やけに静かだった。 机の上には、途中まで書いたレポート。 ノートパソコンの画面は、白いまま止まっている。 カーソルだけが、 一定のリズムで点滅していた。 ——書けない。 ため息が、自然に漏れる。 大学に入ってから、何度目だろう。 「やっ…
「うちら、親友だもんね」 その言葉を最初に言ったのは、どっちだったか覚えていない。 でもその瞬間から、私たちは「特別」になった。 昼休みは必ず一緒。 帰り道も並んで歩く。 将来の話だって、何度もした。 「同じ大学行こうね」 「社会人になっても遊ぼ…
二月十三日の夜は、いつもより少しだけ静かだった。 窓の外で風が鳴っているのに、部屋の中は驚くほど音がない。 机の上には、きれいに包まれた小さな箱。 赤でもピンクでもない、落ち着いた色の包装紙。 リボンは何度も結び直して、少し歪んでいる。 ——これ…
朝の空気は、まだ冬の端っこにあった。吐く息が白くなるほどではないけれど、指先はじんわりと冷たい。駅から学校までの道を歩きながら、彼は何度もポケットの中で拳を握り直した。 合格発表の日。それ以上でも、それ以下でもない一日なのに、足音だけがやけ…
時計の秒針の音が、やけに大きく聞こえた。 カチ、カチ、と規則正しく刻まれる音が、 机の上の参考書よりも、頭の中に残っている。 もう、やることは全部やった。 そう言い聞かせているのに、視線は自然と机に戻ってしまう。 英単語帳、書き込みだらけのノー…
元日の朝は、驚くほど静かだった。窓の外には人の気配がなく、遠くの道路も眠ったままのように見える。 彼女はまだ湯気の立つ湯のみを両手で包み、テレビもつけずに座っていた。実家ではない。帰省もしなかった。理由があるわけではないけれど、今年はここに…
クリスマスイブの夜は、街が少しだけ嘘をつく。本当は寒くて、足先は感覚がなくなるほど冷たいのに、イルミネーションの光がそれを誤魔化してくれる。 駅前の大きなツリーの前で、人々は写真を撮り、誰かの肩に寄り添い、あるいは誰にも寄り添わずに、立ち止…
目が覚めたのは、時計のアラームよりもずっと前だった。 窓の外が、いつもと違う色をしている気がして。 スマホを見ると、時刻は六時少し前。 元日の朝にしては、あまりにも静かだ。 カーテンを少しだけ開けると、街は薄い灰色の光に包まれていた。 夜と朝の…
最初にそれを見たのは、街灯の光がぼんやり滲む雪の夜だった。 残業帰りの道は、いつもより静かだった。吐く息が白い。耳の奥がきゅっと縮まるような冷え。 けれど、道の向こう側にふ、と柔らかい光が浮かんだ。 ――いや、光ではない。 薄い金色をまとった、…
夜の名残がまだ窓の外にうっすらと漂う頃、千代はふとした寒さで目を覚ました。布団の隙間から入り込んだ冷気は、何かの予告のように慎ましやかで、彼女は思わず肩をすくめる。 まだだいぶ早い――そう思いながら枕元のスマホを見ると、画面には 5:42 の数字が…
窓を打つ風の音が、いつもより少しだけ硬く聞こえた。冷たい空気が部屋の隅に溜まりはじめる、十一月の半ば。夏用のカーテンの向こう側は、すっかり冬の手前に立った空の色をしている。 仕事帰り、駅から家への道のりは、朝とまったく違う匂いに包まれていた…
夕方と夜のあいだ。街がいちばん静かになる時間帯に、一本の街灯がぽつんと灯る。その足元に、細く長い“影”が伸びていた。 影は、自分に形があることを知らなかった。光の強さや向きに合わせて揺れ、風もないのにふらりと震え、ただそこに「在る」だけのもの…
午前四時。まだ夜の名残を残した空の下、灯里(あかり)はカーテンの隙間から外を見ていた。カーテンの裾を掴んだ指先が少し冷たい。外では、アパートの前の街灯がひとつだけ、まだ消えずに立っている。 「……この灯り、強いな」 誰に言うでもなく呟く。近く…
最終電車のドアが閉まる音が、耳の奥でまだ鳴っていた。透は部屋に入ると、コートを椅子に掛け、モニタの電源を入れた。通知欄には、今日も同じ名前が光っている。 ⌚ 22:01 月見リラ「ただいま。今日も、ここにいるよ」 待機のコメントがオレンジ色の渦にな…
10月31日。夕方6時を過ぎると、街はすっかりハロウィンの装いになっていた。オレンジと紫のライトが交互に点滅し、子どもたちの笑い声が通りに響く。「トリック・オア・トリート!」小さな吸血鬼や魔女が紙袋を抱えて駆け回る姿は、見ているだけで心が和む。…
十月十四日、午前十一時。校門横の電光掲示板は「29℃」を点滅させていた。秋晴れ、のはずだった空は、夏の終わりを引きずったように白く、遠くのビルの輪郭が熱でぼやける。セミの声だけが消え、代わりに風鈴の残響みたいな高い虫の声が、陽炎の上でぎらぎら…
十一月のはじめ、空は一段と低くなって、夕方が急ぐように早くやってくる。川沿いの欅は七分ほど色づき、歩道には乾いた葉が薄い絨毯を敷いていた。靴の裏で踏むたび、紙のような音がする。息はもう白くはならないが、胸の奥に入ってくる空気は冷えている。 …
九月の初め、午前の空はまだ夏みたいに白く明るいのに、風だけが薄く冷たくなってきた。ベランダに吊るしたガラスの風鈴が、からん、とひとつ鳴って、それきり黙った。音の余韻のほうが長く残る。私は椅子を引き寄せて、風鈴の紐に指を掛けた。結び目の固さ…
終電ひとつ前。コンビニで牛乳とパンを買って、いつものようにアパートの階段を上がった。二階の一番奥、ドアの上には薄い蛍光灯。湿った夏の空気がまだ残っている。 鍵を差し込み、回す。いつもの重い音のあと、ドアを押したら――十センチほどで止まった。 …
夜の十一時を少し過ぎたころ。最寄りのコンビニで飲み物を買い、アパートへ帰る道を歩いていた。街灯は少なく、夜の風はまだ少し夏の湿気を残している。 普段ならまっすぐ大通りを歩くのだが、その日はなんとなく気まぐれで、公園の脇を抜ける近道を選んだ。…
八月の終わり、空はまだ真夏のように青く澄んでいるのに、吹き抜ける風だけがほんの少し冷たさを帯びていた。蝉の声は相変わらず喧しいけれど、その合間にツクツクボウシの鳴き声が混じりはじめている。まるで季節の端境期を告げる合図のように。 「……もう秋…
夕暮れの空は、茜色から群青へとゆっくりと溶け込んでいく。セミの声が遠ざかり、代わりに草むらの奥からコオロギや鈴虫の音色が響き始めた。日中の熱気がまだ地面に残っているものの、風が吹くたびに少しずつ涼しさを帯びていく。 そんな中、一匹の犬が、家…
東京のはずれにある、築25年のワンルームマンション。2階の一番奥――そこが、俺の部屋だ。 駅からは遠いが、家賃が安いし、何より「静か」なのが気に入っていた。隣の部屋にも人は住んでいるらしいが、ほとんど顔を見たことがない。 ある日、会社から帰ってシ…
海辺の町、黄昏どき。陽が沈みきる前のひととき、風がぴたりと止まる瞬間がある。その時間帯を、この町の人たちは「夕凪」と呼んでいた。 人通りの少ない堤防沿いに、小さなカフェがある。看板は古びているが、海風と時間のせいでそれが妙に味になっていた。…
初夏の光は、静かに色褪せた駅のホームを照らしていた。蝉にはまだ早いが、空気には夏のにおいが混ざっている。風はゆるやかで、でもどこか焦るような、そんな季節の匂いだった。 郁(いく)は、リュックひとつでホームのベンチに座っていた。実家に帰るのは…
こんにちは、ユキです。今回も、オリジナル小説をお届けします。 蒼い窓辺のメロディ 梅雨明けの夜明けは、いつもより静かだった。湿った空気の重みは薄れ、透明感のある朝の光が、白いレースのカーテンをそっと揺らす。カーテンの隙間から差し込む光は、ま…
── 静かな冬の町で起きた、小さな奇跡の話 こんにちは、ユキです。今回はちょっと趣向を変えて、短い物語をお届けします。心が少し疲れたとき、何も考えずに読めて、終わったあとにほんのり温かさが残るようなお話。そんな時間になればいいなと思っています…
今日は何かと上手くいかない日だった。朝から寝坊して、電車には乗り遅れて、仕事ではミスばかり。そんな日によくあるように、帰り道では雨に降られて、傘も持っていなかった。 冷えた体で部屋に戻って、濡れた服を脱いで、熱めのシャワーを浴びて。カップ麺…