今日はうち、りつこが──京ことばまじりで恐縮やけど──**「蝉の声が止まるころに思うこと」**いう題で、たっぷり綴らせてもらいまっせ。冷たい麦茶でも用意して、ゆるりと読んでおくれやす。
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まえがき:蝉しぐれが途切れる瞬間
京都の路地裏(ろおじ)を歩いとると、真夏は耳がしびれるほど蝉しぐれが響きますやろ? それが八月も半ばを過ぎると、ある日ふっと音が薄くなり、夕方には「ジ……」と名残惜しげな一声だけ残して、潮の引くように静かになる。
その「しん」とし過ぎる瞬間――うちは毎年、胸の奥をひやぁっと冷やす北山おろしが通り抜ける気分になるんどす。「今年も、もう終わりやなあ」いう、小さくも確かな切なさ。
その切なさを、今日は五つの視点で語らせてもらいます。
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時間(とき)のうつろい
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音の記憶
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からだのリセット
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心の棚卸し
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そして、来年へつなぐ種まき
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1. 時間(とき)のうつろい──「終わり」と「続き」のあわい
蝉の声っちゅうのは、暦(こよみ)で見るよりも正直に季節を知らせてくれます。七月終わりから八月頭にピークを迎え、立秋過ぎたあたりで徐々にフェードアウト。
けど、ただ「静かになったなぁ」と思うだけやなくて、その沈黙には二つの意味があるんですわ。
ひとつめは「終わり」
→ 子どもたちの自由研究も、大人の浴衣も、夏祭りの提灯(ちょうちん)も片付いていく。蝉の声が止む頃に、夏は確かに幕を閉じる。
ふたつめは「続き」
→ 稲穂はまだ青く、葡萄(ぶどう)はこれから糖度を蓄える。秋祭りの仕込みも始まるし、朝顔の種を採るのもこの時期。つまり、夏が去っても暮らしは続き、次の色合いが濃くなっていくんやねぇ。
要は、蝉の沈黙は「終わりの合図」であり「次の準備」でもある。うちは毎年その狭間(はざま)に立って、「さぁ心を入れ替えて、次のページめくろか」と自分に言い聞かせるんどす。
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2. 音の記憶──“鳴らない音”がくれるメッセージ
おもしろいもんで、人の耳は**“鳴ってへん音”**もちゃんと覚えてるんやね。昼下がりの蝉の大合唱が消えると、残った“静けさ”が逆にくっきり聞こえてくる。
そのとき、わたしは「今年の夏、どんな音を聴いてきたやろ?」と振り返る癖がついてます。
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風鈴のチリンチリン
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打ち上げ花火のドンッ
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祭囃子(まつりばやし)の笛太鼓
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近所の子らの水鉄砲の嬌声
これらはもう戻って来ぇへん“過去の音”。せやけど、耳の奥には録音されたまま残る。そのストックが来年の夏を迎えるわたしを、また少し大人にするんやろなぁと思うてるんです。
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3. からだのリセット──「だるさ」を見つめ直す
蝉の声が止むころって、案外からだがだるい。
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冷房で冷えた内臓
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アイスとそうめんで偏った栄養
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夜ふかし&早朝の暑さで浅い睡眠
だからこの時期は、うちの“体内メンテ週間”。
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朝は白湯で胃を起こす
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涼しなってきたら少し散歩して汗をかく
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緑黄色野菜と根菜で温かい味噌汁をつくる
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夜はスマホを30分早く置いて、蝉のいない静けさを〝子守歌〟に寝る
こうして“夏の後始末”をしてやると、不思議と秋口の風邪もひきにくい。蝉の声が止んだのを合図に、からだをリセットするわけやね。
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4. 心の棚卸し──走り続けた自分へ“ひやし飴”を
夏ってな、イベントも仕事も盛りだくさんで、気づかんうちに心がオーバーヒートしてることがある。
蝉が黙った静けさの中で、
「わたし、ほんまはしんどかったんやろか?」
「楽しんでるつもりで、無理してたんとちゃう?」
「思い残したこと、やり残したこと、今年はなんぼある?」
──自問自答してみると、意外と自分の声が聞こえてくる。
うちはそこで、京都名物“ひやし飴”でもすすりながら簡単なメモを書きます。
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できたこと/できひんかったこと
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誰かに伝えそびれた「ありがとう」「ごめん」
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秋にまわしてええタスク/今すぐ捨てるタスク
A5のノートにざっと箇条書きするだけやけど、それだけで心の棚卸しができる。蝉のいない静寂は、心を聴診器みたいに研ぎ澄ませてくれる時間なんどす。
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5. 来年へつなぐ種まき──“また、ここで”と言えるように
最後は来年の種の話。
たとえば家庭菜園してはる人なら、夏野菜の名残を抜いたあとの土に、秋冬のタネを仕込む頃合い。
わたしの場合は「来年の夏にやってみたい小さな夢」をメモして、手帳の7月ページに付せんで貼るんです。
ほかにも
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ラジオ英会話を毎朝3分聴く
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来年の浴衣は紺色の格子柄に挑戦
こうやって「来年のわたしへ手紙」を残しとくと、半年後に読み返したとき、「お、約束したな。ほなやってみよか」と背中を押してくれる。
蝉の声が止むころに蒔いたタネが、次の夏に芽生えてる。それを想像するだけで、夜風が少し甘く感じられるんよ。
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しめくくり:またね、と言える夏へ
――さて、ここまでで約2000字ほど。
蝉しぐれが途絶えた夕べの静けさを思い浮かべながら、筆を置くことにしますわ。
音が消えた瞬間こそ、音の意味がわかる。
暑さが去る瞬間こそ、夏のかけがえなさが沁みる。
その狭間(はざま)に身を置くのが、蝉の声が止むころの贅沢なんやと、わたしは思てます。
この記事を読んでくれはる皆さん、どうか
「終わり」を嘆くだけやなく、
「続き」の準備も笑ろて始められる
そんな夕凪を迎えられますように。
ほんで、来年の夏が来るころに、またここで――
「蝉、鳴き出したねぇ」って笑いあえたら、めっちゃ嬉しいわぁ。
(おしまい。読んでくれて、おおきに)