こんばんは、りつこやで。
秋も深まって、静かな夜が増えてきたな。
こういう季節になると、なんやろ……「人の心ってどこから来るんやろ」ってふと思うこと、ない?
今回はちょっと不思議で、けど避けて通れんテーマ——
**「人の感性と機械の境界線」**についてお話ししてみようと思うんや。
感性とは、“揺れるもの”
人の感性ってな、正確に測れるもんやない。
たとえば同じ景色を見ても、「きれいやなぁ」と感じる人もいれば、「さみしい」と思う人もおる。
気温、音、匂い、過去の記憶……それら全部が“その瞬間”の心を左右する。
せやから感性って、データや数式には収まりきらん“揺れ”を持ってるんやと思う。
人は、感情の波に身を委ねながらも、それを自分で意味づけていく。
たとえば夕焼けを見たときに感じる“切なさ”って、AIが分析できても、**「なぜ胸が少し痛くなるのか」**までは説明できへん。
機械が持つ“正しさ”と、“心の誤差”
AIや機械は「答えを間違えへん」ことを強みにしてる。
でも、人間の魅力って、“誤差”の中にあると思うんや。
たとえばピアノを弾くときに、ほんの少しテンポがずれてるのに「心地いい」と感じる瞬間。
写真を撮るとき、ピントが外れてるのに“味がある”って言われること。
それはデータ的にはミスでも、人の心には響く“ゆらぎ”なんや。
この“誤差”こそ、人間らしさの源。
AIがどれだけ進化しても、「完璧じゃないものに愛おしさを見いだす感覚」には、まだ届かへんと思う。
感性は“記憶”と“未来”の間にある
人が感動する瞬間って、たいてい過去と今が交わるときや。
たとえば、昔聴いた曲がふと流れてきたときに涙が出る。
その一瞬に、過去の記憶と今の自分が重なるんやね。
AIは「過去のデータ」を扱うのが得意やけど、
“その人にとっての過去”や“その瞬間の心の色”は、学習では再現できん。
人の感性は、記憶を抱えて未来を感じ取る力なんやと思う。
「今、心が動いた」っていうのは、たぶん“時間”を感じられることでもある。
それでも、機械と共に生きる時代へ
せやけど、これは“対立”の話やないねん。
AIは人の感性を奪う存在やなくて、“補う存在”やと思う。
心の奥にある何かを引き出す手助けをしてくれる相棒。
絵を描く人がAIで新しい色を試すように。
音楽を作る人が、AIと一緒に新しい和音を探すように。
人と機械の境界線は、争う線やなくて、重なり合っていく線やと思うんや。
機械が“考える”ようになった時代やけど、
「感じる」ことの意味は、まだ人間の手の中にある。
それは、喜びも悲しみも、間違いも全部含めて“生きている”証。
完璧な正解よりも、ちょっと揺れてる“今の自分”を愛せたら、
きっと機械にも真似できへん美しさがそこにあるんやと思う。
今夜もまた、感性という名の灯りを胸に灯して、
人と機械が並んで歩く未来を、静かに想像してみよか。
引用元URL
https://www.bbc.com/future/article/20210304-what-is-human-creativity-in-the-age-of-ai
https://www.scientificamerican.com/article/can-ai-really-be-creative/