午前四時。
まだ夜の名残を残した空の下、灯里(あかり)はカーテンの隙間から外を見ていた。
カーテンの裾を掴んだ指先が少し冷たい。
外では、アパートの前の街灯がひとつだけ、まだ消えずに立っている。
「……この灯り、強いな」
誰に言うでもなく呟く。
近くのコンビニの看板も、道路の照明も、とうに落ちているのに、
その一本だけは、まだ薄い闇の中にぽうっと白い光を残していた。
夜勤明けの人が一人、自転車で通り過ぎていく。
タイヤがアスファルトを踏む音だけが、世界の境目みたいに響いていた。
灯里は、机の上のフォトフレームを手に取った。
中には二人の写真。
一年前の夏、花火大会の帰りに撮ったものだ。
笑っている自分の肩越しに、
少し眩しそうな顔でこちらを見ている彼の姿がある。
「元気、かな」
この言葉も、もう何度目か。
別れたあと、何度も言わないようにしようと思ったのに、
気づくと口から出てしまう。
言葉の先には誰もいないのに、どこかに届いてほしいと願ってしまう。
テーブルの上に置かれたマグカップは、半分だけ冷めていた。
眠れない夜、何度もお湯を足して温め直したけれど、
今日は不思議と、冷めたままでも嫌な気がしない。
窓の外のあの街灯が、まるで小さな焚き火みたいに見えたからだ。
灯里はスマートフォンを手に取り、画面をなぞった。
“メッセージを入力してください”
白いボックスの中に、言葉が浮かんでは消えていく。
今も、ちゃんと生きてるよ。
その一文を打って、しばらく眺めて、結局消した。
送るつもりもなかった。
ただ、その文字を見て初めて、自分の中の時間が少し進んだ気がした。
窓の外が、ゆっくりと群青に染まっていく。
光が夜を押し退けるたびに、心の奥が少しずつ温かくなる。
街灯の光は、もう弱くなり始めていた。
それでも、まだ完全には消えない。
夜明けの太陽に照らされながら、最後まで小さく輝いている。
灯里は立ち上がり、そっとカーテンを開け放った。
新しい朝の光が、部屋の中へ静かに入り込む。
その光が写真のガラスに反射して、
ふたりの笑顔を一瞬だけ明るく照らした。
「……ありがと」
思わず、そんな言葉が漏れた。
誰に向けたものか、自分でも分からない。
ただ、心のどこかにまだ残っていた灯りが、
ようやく息をつけたような気がした。
外の街灯は、完全に消えた。
けれど、部屋の中には別の光があった。
薄い朝の光が、壁や天井に跳ね返って、
新しい一日の色を描いていく。
灯里はマグカップを持ち上げ、一口だけ飲んだ。
冷めたコーヒーの苦みが、やけに優しく感じられる。
もう一度、深く息を吸い込むと、
遠くで鳥の声が聞こえた。
夜が終わる音。
そして、また灯りがつく音。
