こんにちは、つかさです。
「評価されなくても、創作は続ける」
言葉にすると簡単だけど、実際には何度も心が揺れます。
反応が少ない投稿を見返しては、
「意味あったのかな」
「誰にも届いてないなら、やめたほうがいいのかな」
そんな考えがふと浮かぶ瞬間もあるはずです。
それでも、多くの人は完全にはやめない。
少し間が空いても、また作り始める。
今日は、その理由について考えてみたいと思います。
創作は「誰かのため」だけでは続かない
最初は誰だって、誰かに見てほしくて作ります。
それ自体は、まったく悪いことじゃありません。
でも、評価だけを燃料にすると、
反応が途切れた瞬間に、エンジンも止まってしまう。
長く続いている創作には、だいたい共通点があります。
それは、「自分のために作っている時間」がちゃんとあること。
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手を動かしていると落ち着く
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頭の中が整理される
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完成したとき、自分が一番うれしい
この感覚がある限り、創作は完全には終わりません。
作っている間だけ、世界が静かになる
創作に没頭しているときって、不思議な感覚があります。
仕事のこと、将来の不安、人間関係、
そういった雑音が、少し遠ざかる。
目の前の工程、色、形、手触り。
「今ここ」に集中している時間。
これは、評価とはまったく別の価値です。
むしろ、誰にも見せなくても成立する、かなり贅沢な時間。
この静けさを一度知ってしまうと、
人は創作を簡単には手放せなくなります。
「変わらない自分」を確かめる行為
創作を続けていると、環境はどんどん変わっていきます。
仕事が変わる
生活リズムが変わる
人間関係が変わる
そんな中で、「これだけは変わらずやっている」というものがあると、
それは自分の軸になります。
反応が少なくても、
「それでも作っている自分」がいる。
それは、評価よりずっと強い自己確認です。
評価が少ない時期は「静かな蓄積期間」
創作には、どうしても波があります。
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反応が多い時期
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ほとんど無風な時期
でも、無風な時期は何も起きていないわけじゃない。
その間に、
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技術が積み上がり
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感覚が洗練され
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自分の「好き」が明確になる
外から見えないだけで、内部ではちゃんと進んでいます。
後から振り返ると、
「あの時期があったから、今がある」
そう思える瞬間が来ることも少なくありません。
続ける理由は、立派じゃなくていい
「誰かを感動させたい」
「表現者として何かを残したい」
そんな立派な理由がなくても大丈夫です。
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なんとなく好き
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やめる理由が特にない
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作らないと落ち着かない
それくらいで、十分。
創作は、続けた人だけが見える景色があります。
評価の有無に関係なく。
おわりに
反応が少ないと、心が折れそうになることもあります。
それは自然なことです。
でも、あなたが作ったものは、
少なくとも一人――あなた自身には確実に届いています。
「それでも作り続けている」という事実そのものが、
すでに価値のある選択です。
これからも、
評価がある日も、ない日も、
静かに、でも確かに、作っていきましょう。
次もまた、その途中の言葉を一緒に残せたらうれしいです。