元日の朝は、驚くほど静かだった。
窓の外には人の気配がなく、遠くの道路も眠ったままのように見える。
彼女はまだ湯気の立つ湯のみを両手で包み、テレビもつけずに座っていた。
実家ではない。帰省もしなかった。
理由があるわけではないけれど、今年はここにいるほうが自然な気がした。
時計の針が九時を指す少し前、
——コン、と、微かな音がした。
玄関のほうだ。
勘違いかと思ったが、もう一度、今度ははっきりと。
郵便受けの金属が触れ合う、軽い音。
彼女はゆっくり立ち上がり、上着を羽織って玄関を開けた。
冷たい空気が流れ込み、背筋が少し伸びる。
郵便受けには、白い封筒が一通。
切手も消印もない。
宛名だけが、見慣れた字で書かれている。
中に入っていたのは、短い紙切れだった。
「今年も、ちゃんと始まっているよ」
それだけ。
誰が入れたのかはわからない。
けれど不思議と、怖さはなかった。
彼女は再び部屋に戻り、窓際に座る。
外では、遠くの神社からかすかに鐘の音が流れてきた。
遅れて届くその音が、空気を少しだけ震わせる。
湯のみの中のお茶は、もうぬるくなっている。
それでも、胸の奥にはじんわりとした温かさが残っていた。
新しい年は、派手な音を立てて始まるわけじゃない。
気づかないほど小さな合図が、そっと置かれているだけだ。
彼女は紙切れを折り、机の引き出しにしまった。
その音を、忘れないために。
