あの日もらった箱は、まだ机の上にある。
リボンはほどいていない。
中身も、一つしか食べていない。
もったいない、というより。
簡単に減らしていいものじゃない気がした。
——バレンタイン。
彼女が差し出してきたときのことを、思い出す。
少し震えた声。
目を逸らさなかったこと。
指先が、ほんの少しだけ触れたこと。
あれはきっと、
ただのチョコじゃなかった。
分かっている。
分かっているけど。
「……どう返せばいいんだよ」
呟いて、頭を掻く。
*
ホワイトデーが近づくにつれて、
周りの男子がそわそわし始める。
「お前、返すの決めた?」
「いや、まだ……」
「適当でいいだろ、クッキーとか」
そういう問題じゃない、と思う。
あれは“適当”で返していいものじゃない。
あのとき、彼女がどれだけ勇気を出したのか。
考えれば考えるほど、軽くできなくなる。
放課後、ひとりで店に入る。
甘い匂い。
整然と並ぶお菓子。
どれも“正解っぽい顔”をしているのに、
どれも違う気がする。
——これじゃない。
何度も棚を見て、
結局、何も買わずに出た。
*
帰り道。
ポケットに手を突っ込んで歩きながら、
ふと気づく。
あの日の自分は、
何を受け取ったんだろう。
チョコ?
違う。
たぶん——
“好き”っていう形をした勇気。
それを、
ただのお菓子で返していいのか。
足が止まる。
ため息をひとつ。
「……無理だろ」
同じ重さで返すなんて。
でも。
同じじゃなくてもいいのかもしれない。
自分なりでいい。
ちゃんと、向き合えば。
*
ホワイトデー当日。
朝の空気は、少しだけ柔らかい。
彼女は、いつもの場所にいた。
「おはよう」
「おはよう」
いつも通りのやり取り。
でも今日は、少しだけ違う。
彼は、鞄の中の小さな箱を確かめる。
「……あのさ」
彼女が、少しだけ緊張した顔をする。
あの日と、同じ顔。
今度は、こっちの番だ。
箱を取り出して、差し出す。
「これ。ホワイトデー」
彼女は目を丸くする。
「え、いいの?」
「いいのっていうか……その」
言葉が少し詰まる。
でも、逃げない。
「ちゃんと返したかったから」
彼女は、ゆっくりと受け取る。
今度は、彼の指が彼女に触れる。
あの日と、逆。
ほんの一瞬。
それだけで、十分だった。
「……ありがとう」
彼女が、小さく笑う。
その顔を見て、ようやく思う。
ああ、これでよかったんだ、と。
「中身、たいしたもんじゃないけど」
「ううん、嬉しい」
少し間があって、彼女が続ける。
「……あのね」
「うん?」
「これで、終わりじゃないよね?」
一瞬、言葉の意味を考える。
それから、すぐに分かる。
彼は、少しだけ笑った。
「終わらせる気ないけど」
その答えに、彼女の頬が少し赤くなる。
風が、ふわりと吹く。
冬の名残が、少しずつほどけていく。
彼はふと思う。
あの日もらったものは、
まだ返しきれていない。
たぶん、これから少しずつ返していくものだ。
時間をかけて。
言葉じゃない形で。
彼女の隣を歩きながら、
その距離がほんの少しだけ近くなった気がした。
